君の名前は魔法の言葉。
まさかこの短期間でクソみたいな文章を二つも書くことになるとは思いもしなかった。
想像力というか創作欲というか、まぁとにかく何かよく分からないものに唆されてしまった。
それもこれも川田将雅様のせいなのだが……本当に罪な男だこの人は。
さて突然だが本題に入るとする。
川田将雅様……私の生きる糧*1。
だがそれと同時に彼の名前は、私にとっての"魔法の言葉"なのである。
疲れた時や嫌な時、「死にてぇ〜」などと軽い調子で口にする人がいる。
私も昔、そういうことを頻繁に言う一人であった。
でもこんなことを口にしたところで何がある訳でもない。
別にその疲れや嫌な事がどこかに吹き飛ぶ訳では無い。
だが私は巡り会った、巡り会ってしまった。
疲れや嫌な事を吹き飛ばす言葉。
そうそれが「川田将雅様」という言葉、否、名前なのである。
これを読んでいる人はきっと私を奇人だの変態だの思っていることだろう。
あぁ、そうだその通りだ。
一ミリも否定はできない。
普通に考えれば、人の名前が"魔法の言葉"になりうる訳が無いのだから。
だがそれが違った。
私にとっては"魔法の言葉"となってしまったのだ。
私は疲れた時や嫌な時、「川田将雅様」と思わず言ってしまう。
実際に今日も私用で疲れた後に「かわだゆうがさまぁ……」と悲痛な声で呟いてしまった。
そうするとその後に「会いたいなぁ……」と想いを馳せ、ロック画面*2を見て「かっこいいなぁ……」とニヤけてしまう。
そうすると不思議なことに、疲れが吹き飛ぶような感覚になる*3のだ。
そして「次はいつ会えるのかなぁ……」と考える。
……きっとこの流れを見てこう思った人がいることだろう。
「お前は川田の彼女じゃねーだろ!!」と。
勿論その通りであるし、何なら私はガチ恋*4してる訳でもない。
なのに名前を言うだけで幸せな気持ちになれる。
一種の宗教のようだと言えないこともない。
『競馬は宗教』
私もよく使う言葉だが、本当にこの言葉はその通りだと思う。
推しは教祖、私たちは崇拝者。
教祖の名前を唱えて幸せになっている崇拝者がいてもいいのではないだろうか。
それがその人なりの推し事なのだから。
……最後に自らを擁護するようなことを言ってしまったのはいかがなものだろうか……。